東京地方裁判所 昭和36年(ワ)2509号 判決 1963年4月01日
原告 金崎正男 外一名
被告 池上運送株式会社
主文
被告は原告金崎正男に対し金三一二、四九〇円およびこれに対する昭和三六年四月一二日より完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え、
原告金崎正男のその余の請求および原告金崎睦の請求はこれを棄却する。
訴訟費用中、原告金崎正男と被告との間に生じた分は被告の負担とし、原告金崎睦と被告との間に生じた分は同原告の負担とする。
この判決は原告金崎正男勝訴の部分に限り、同原告において金一〇〇、〇〇〇円の担保を供するときは仮りに執行することができる。
事実
一、原告等訴訟代理人は「被告は、原告金崎正男に対し、金三一七、四九〇円、原告金崎睦に対し金一一〇、〇〇〇円および右各金員に対する昭和三六年四月一二日からそれぞれ完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は被告の負担とする」との判決および仮執行の宣言を求め、その請求原因および被告の抗弁に対する答弁として、つぎのとおり述べた。
(一) 被告の被用者である訴外伊藤文吾は、昭和三五年九月二七日、被告所有の普通貨物自動車(五四年式ニツサン車輌番号一-あ五七七一号)を運転し被告の肩書地より五反田方面に向つて第二京浜国道の低速路を時速約六〇キロメートルで進行し、午前九時三〇分頃東京都大田区池上徳持町一六番地先路上にさしかかつたが、その際、急にハンドルを右に切つたので、その右側(進行方向に向つて。以下同じ)高速路を並行して進行していた訴外佐藤義治の運転する小型乗用四輪車(車輌番号五-ゆ五五八七号)の左側に右貨物自動車の右側が接触し、そのために佐藤はハンドル操作の自由を失つて、右道路の中央ラインを越えて反対側の進路に入り、折柄反対方向より進行してきた原告正男の所有運転する小型乗用四輪車の正面(右側)に激突し、右自動車を破損するとともに、原告正男に全治約九〇日を要する左第二ないし第六肋骨骨折顔面挫創頭部挫傷の傷害を負わせた。
(二) 自動車の運転者は、本件事故発生の場所のような道路を進行中、右又は左を並行して進行している他の自動車があるときは、急にハンドルを右又は左に切るべきないという注意義務があるにもかかわらず、伊藤は、これに違反し前記のとおり急にハンドルを右に切つたため、本件事故を惹起したものである。
仮りに、本件事故が、被告が後記二の(二)において主張するような状況の下に惹起されたものであるとしても、一般に小型乗用車は緩行路を進行すべきでないので、緩行路を進行する小型乗用四輪車があるときはやがて低速路に移行するのが通常であるから、低速路を進行する自動車の運転者は前後、左右の車に注意を払い、緩行路を進行中の自動車が前方低速路に移行してきたときは、急停車その他の方法によりこれとの接触を避けるべきであり、従つてまた、予め急停車によつて衝突を避けうる程度に減速して進行すべき注意義務があるにもかかわらず、伊藤はこれを怠り、前記速度で進行したため、小型乗用車が突然右折して、低速路に移行してきたとき始めてこれに気づき、急拠これとの接触を避けようとして漫然ハンドルを右に切つたため佐藤の運転する小型乗用四輪車に接触し、本件事故を惹起するに至らしめたものであるから、いずれにしても本件事故は伊藤の過失に基因する。
(三) 被告は前記普通貨物自動車を自己のために運行の用に供していたものであり、かつ、貨物自動車運送業を営むために伊藤を使用していたものであるところ、同人は被告の右事業の執行について前記事故を惹起したものであるから、被告としては、自動車損害賠償法第三、四条および民法第七一五条(自動車の破損による損害)に則つて右事故によつて原告等が被つた損害を賠償する責任がある。
(四) 本件事故によつて原告正男の被つた損害は合計金六三三、四九〇円であり、原告睦の被つた損害は合計金一一〇、〇〇〇円であつて、その内訳はつぎのとおりである。
(1) 原告正男のみ被つた損害
(イ) 医師の治療費および入院料 金 四四、一五〇円
(ロ) 看護婦の食費および付添費 金 一三、九二〇円
(ハ) 通院治療のための交通費 金 三四、九二〇円
(ニ) 氷代 金 一、五〇〇円
(ホ) 自動車の破損による損害 金 四一〇、〇〇〇円
(2) 原告両名の被つた損害
(イ) 原告正男は、大正八年一月二三日生れで、原告睦と昭和二二年に婚姻し、その間に三子をもうけているが、生来健康で殆んど医師にかかつたことがないくらいであつたのに、本件衝突によつて前記のような傷害を受け筆舌につくしがたい程の肉体的精神的苦痛を被つた。また原告睦は、同正男の妻で、夫が本件事故のため重傷を被り病院生活を送らざるを得なくなつたことによる精神上の苦痛は甚大である。よつて、被告は原告等に対し、慰藉料として各金一〇〇、〇〇〇円を支払う責任がある。
(ロ) 原告等は本件事故による損害の賠償を訴求するため、弁護士黒沢子之松、同伊豆鉄次郎の両名に対し本件訴訟事件を委任し、東京弁護士会弁護士報酬規定第三条及び第九条三項に基づき手数料(着手金)として、原告正男は金二九、〇〇〇円、原告睦は金一〇、〇〇〇円を右弁護士に支払つた。およそ本件の如き損害賠償請求訴訟事件は、弁護士に委任しなければ、権利の完全な実行は容易でなく、また弁護士に委任して訴訟を追行しているのが一般であるから、右手数料の支払による損失は本件事故によつて通常生ずべき損害である。
(五) 原告正男は、本件事故によつて被告及び佐藤加入の保険会社から合計金三一六、〇〇〇円の保険金の支払を受けたので、右損害金よりこの金額を控除した残額金三一七、四九〇円、原告睦は右損害金一一〇、〇〇〇円および右各金員に対する昭和三六年四月一二日より完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(六) 被告主張の抗弁事実はこれを否認する。
二 被告訴訟代理人は、「原告等の請求を棄却する。訴訟費用は原告等の負担とする」との判決を求め、答弁および抗弁としてつぎのとおり述べた。
(一) 請求原因(一)の記載の事実中、訴外伊藤文吾の運転する普通貨物自動車が時速約六〇キロメートルで進行したとの点、訴外佐藤義治の運転する小型乗用車が右貨物自動車の右側を並行して進行していたとの点は否認する。原告正男の負傷の程度は不知、その他は認める。
(二) 本件事故当時、伊藤は被告の貨物自動車を運転して第二京浜国道を北に向い低速路を時速四〇キロメートル以下で進行中、左側(進行方向に向つて。以下同じ)緩行路をこれと並行して進行していた小型乗用車(兵庫五す六五一〇号)が突然無合図で右折し、伊藤運転の貨物自動車の前面低速路に移行してきたのでこれを避けようとして、後続車があるため、僅かにハンドルを右に切つた。ところがこの時、伊藤運転の貨物自動車の後方から制限速度を超えて進行してきて、右貨物自動車を追越しにかかつていた佐藤の運転する小型乗用車が伊藤運転の貨物自動車との接触を避けるために、右にハンドルを切つたため、その車輌後部が伊藤運転の貨物自動車の後部右角に接触して中央ラインを越えて反対側の進路に入り、反対方向から進行してきた原告正男の自動車に衝突したのである。従つて、その際伊藤のとつた措置は前面に移行してきた他車との接触を避けるための機転の措置であつて、何人がこの立場におかれても、他に適当な方法はなかつたのであるすなわち、伊藤には運転者としての過失はない。
また、原告は伊藤としては、左側緩行路を進行していた自動車が右折したときには右にハンドルを切らずに急停車すべきであつたと主張するが、仮りに急停車の措置を講じたとしても、時速四〇キロメートルに近い速度で進行中の貨物自動車は措置後約二〇メートル進行して漸く停止するものであるから、急停車によつて接触を回避することはできない。要するに、本件事故は、緩行路から低速路に移行した自動車の運転者の過失に基因するものであつて伊藤には過失がない。
(三) 請求原因(三)の記載の点は、被告に損害賠償の責任があるとの点は否認し、その余の事実は認める。前述のとおり、本件事故は緩行路から低速路に移行した自動車の運転者の過失に基因するものであつて、被告の被用者伊藤には過失がなく、また、事故当時、被告の貨物自動車には構造上の欠陥または機能の障害はなかつた。更に、被告は伊藤の使用者としてその選任及び監督につき相当の注意をしていたものであるから本件事故によつて被つた原告等の損害を賠償する責任はない。
(四) 請求原因(四)記載の事実のうち(1) の(イ)ないし(二)および(2) の点は不知、(1) の(ホ)の点は否認する。なお、原告所有の自動車の破損による損害については、原告と佐藤との間で示談が成立し、損害は全部補填されている。
(五) 請求原因(五)記載の事実のうち、原告が保険金の支払を受けた点は認めるが(但し金額は不明)その余は争う。
三 立証<省略>
理由
一、昭和三五年九月二七日午前九時三〇分頃、東京都大田区池上徳持町一六番地先の第二京浜国道上で被告の被用者である訴外伊藤文吾の運転する普通貨物自動車が訴外佐藤義治の運転する小型乗用車に接触し、そのため同小型乗用車が中央ラインを越えて反対側の進路に入つた際反対方向から進行してきた原告正男の運転するその所有の小型乗用四輪車と衝突し、それによつて同原告が負傷し、右自動車が破損した事実は当事者間に争いがない。
二、そこで、伊藤に運転上の過失があつたかどうかについて考察する。
証人伊藤文吾、同杉野谷茂の各証言によれば、つぎのような事実が認定できる。すなわち、伊藤は被告の貨物自動車を運転して、東京都大田区安方町から五反田方面に向つて、第二京浜国道を進行し、時速約三五キロメートルで本件事故の現場にさしかかつたものであるが、同所附近は、高速路、低速路、緩行路及び歩道に区分されていて、低速路と緩行路との間にはグリーンベルトがあつたけれども、衝突現場は交差点でありグリーンベルトは切れていた。而して、伊藤の運転する貨物自動車は低速路を進行していたものであつて、その左側緩行路上のやゝ前方を小型乗用車が同一方向に進行し、また、右側高速路を後方から、佐藤の運転する小型乗用車が同一方向に進行していたが、伊藤は本件事故現場の手前で一旦は緩行路の小型乗用車に気づいたけれども、注意せずにそのまま進行していつたところ、本件事故現場において、右小型乗用車が突然右折し、グリーンベルトを越えて低速路へ移行し、自己の運転する貨物自動車の前方二、三メートルの地点に出たので、始めてこれに気づいて狼狽し、とつさの間、これとの接触の回避のみを念頭において、他車との接触に深く留意せず、漫然ハンドルを右に切つたので、右側高速路に乗入れ(僅かではあるが)るに至つた。そのため同高速路を後方から進行してきた佐藤の運転する小型乗用車に接触したので、同小型乗用車はこれに押されて中央ラインを越えて反対側の進路に乗入れ、折柄、反対方向より同高速路を進行してきた原告正男運転の乗用車に激突し、同自動車を破損せしめた上、原告正男に傷を負わせるに至つたものである。以上の認定を覆えすに足る証拠はない。
ところで、緩行路は乗用自動車の通行すべき路面でないから偶々緩行路を通行している自動車があればやがて低速路に移行するであろうことは当然予想されるので貨物自動車を操縦して低速路を進行する運転者としては前後、左右を注視し特に緩行路を進行する自動車の動向には深甚の注意を払い、その自動車の運動に即応して、自動車の運転の方向速度等を加減し、事態の緩急に応じ、場合によつては、急停車又は減速除行に移る等適宜の措置を講じ、もつて右自動車その他の車馬との接触、衝突等の危険を未然に防止すべき義務があるものというべきところ、伊藤は前段認定のように右義務に違反して運転したために、緩行路の自動車が右折して低速路に移行した際に、接触回避に有効適切な措置を講ずることが困難となり、漫然右折の措置をとつたものであることは明らかであるから、本件衡突は伊藤の過失に基因するものというのほかはない。
三、而して、被告は、その保有の貨物自動車を自己のために運行の用に供するものであり、伊藤は被告の被用者にして、本件事故はその事業の執行につき惹起したものであることは当事者間に争いがないから、本件事故によつて原告正男が被つた財産上及び精神上の損害につき、被告は賠償の責に任ずるものといわねばならない。被告は伊藤の選任と事業の監督につき相当の注意をしたから損害賠償の責任がないと主張する。証人塚原俊蔵の証言によると、被告会社では、自動車運転者を採用するときには、履歴書を提出させて、経歴を確め、前歴を調査した上で運転の試験をして採否を決し採用後は毎朝のように運転者に対して事故を惹起しないように注意し、また、時折交通専門の警察官を招へいして講習せしめている事実が認められるけれども、それだけでは未だもつて、選任監督について相当の注意を払つたものということはできない。
四、そこで、本件事故によつて、原告等の被つた損害について判断する。
(一) まず、原告正男主張の一の(四)の(1) 記載の損害について検討するに、成立に争いのない甲第一号証、原告正男本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第二号証の一ないし五、第三ないし第五号証並びに原告金崎正男本人尋問の結果によれば、原告正男は本件衝突によつて全治約九〇日を要する左第二ないし第六肋骨骨折、顔面挫創頭部挫傷の傷害を被り、直ちに訴外木村病院に入院して治療を受け、退院後も引続き通院したが、そのため、治療費および入院料として金四四、一五〇円、看護婦の食費および付添費として金一三、九二〇円、通院治療のための交通費として金三四、九二〇円、氷代として金一、五〇〇円を支払つた事実及び原告正男の自動車の本件衝突当時の小売価格は約四四〇、〇〇〇円であつたが、本件衝突による破損が甚大であつたために修理することが採算に合わず、これを代金三五、〇〇〇円で売却した事実が認められる。以上の認定の妨げになる証拠はない。而して右事実によると反証のない本件においては自動車の破損による損害は四〇五、〇〇〇円であるといわなければならない。
次に、原告正男主張の一の(四)の(2) 記載の慰藉料について検討するに、原告正男が本件衝突によつて前示のような傷害を受けた以上、肉体的、精神的苦痛を被つたことは明らかであるから、慰藉料の額を商量すると、原告金崎正男本人尋問の結果によれば、原告正男は、従業員約五〇人の大田電灯工業株式会社の社長であることが認められるところ、同事実及び本件衝突の状況、伊藤の過失の程度、原告正男の被つた傷害の程度その他一切の事情を斟酌するときは金一〇〇、〇〇〇円をもつて相当と考える。
しかし、原告正男が本件事故に基づく損害につき、保険会社から合計金三一六、〇〇〇円の支払を受けたことは原告正男の自認するものであるところ、前掲甲第二号証の一ないし五及び第三ないし第五号証並びに原告金崎正男本人尋問の結果を綜合すると、右保険金は被告ないし佐藤が保険会社から支払を受けたものを原告正男に支払つたものもあつて、その充当は身体傷害による右財産上の損害全部と自動車の破損による損害の一部に充当されている事実が認められるので、それによつて填補されない損害は自動車の破損による一八三、四九〇円と慰藉料一〇〇、〇〇〇円である。なお、被告は自動車の破損による損害は、示談によつて全部解決したと主張するけれども、これを肯定すべき証拠はない。
さらに、原告正男主張の一の(四)の(2) の(ロ)記載の損害について検討するに、原告金崎正男本人尋問の結果及びこれにより真正に成立したものと認むべき甲第六号証を綜合すると原告正男は、弁護士黒沢子之松に本件訴訟事件を委任し、その手数料(着手金)として、金二九、〇〇〇円を支払つた事実が認められるところ、およそ本件の如き損害賠償請求事件は、弁護士に委任しなければ、その権利の完全な実行は容易でなく、また弁護士に委任して訴訟を追行しているのが一般であり、その場合には右の程度の金額の手数料(着手金)を支払つていることは当裁判所に顕著な事実であるから、原告正男の右手数料(着手金)の支払は、本件事故と相当因果関係があるものというべきである。
(二) 次に原告睦主張の一の(四)の(2) 記載の損害について検討するに、同原告の主張によれば、慰藉料は夫である原告正男の被つた傷害に伴う精神上の苦痛に対するものであるところそのような趣旨の慰藉料請求権は被害者の生命侵害にも比肩すべき精神上の苦痛を受けた場合は格別、原則として民法上認められていないものと解するを相当とする。従つてまた、右慰藉料請求権の実現のために弁護士に訴訟事件を委任し、手数料を支払つたとしても、右手数料の支払による損害の発生と本件事故との間に相当因果関係はない。それ故、原告睦が本件事故によつて損害を被つたとの主張は排斥を免れない。
六、以上の次第で、被告は、原告正男に対し、本件事故による損害金三一二、四九〇円およびこれに対する本件訴状送達の日であることが記録上明らかな昭和三六年四月一二日から完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があることは明らかであるが、原告睦に対して損害賠償の義務を負うものということはできない。
よつて、原告正男の被告に対する本訴請求は右認定の限度において理由があるからこれを認容し、その余の請求および原告睦の請求はこれを棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条を仮執行の宣言につき、同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 池野仁二 石田実 吉田欣子)